私が高校を卒業し間もなく、一人暮らしを始めると、
当時の友人が突然、原付のメットインに2匹の猫を入れて連れて来た。
職場に住み着いてた猫が産んだ子猫を飼わないかと。
私の実家は猫が欠かさない家で、私も産まれた時から家族には猫がいたため、
猫のいる生活が普通だと、ふたつ返事で引き取る事にした。
それがこのブログのタイトルの筆頭となる、ラムちゃんだった。

手前がラム、後ろがミルク
ミルクは当時居候していた友人が引き取った。
2匹とも本当に可愛らしい顔をしていて、本当に本当にたまらない程可愛かった。

当時私は18歳。遊びも派手になり、ラムの事を構わない事もしばしば。
遊び優先と友人に暫く預けてしまう事もあったりで、若い頃はとても褒められた飼い主じゃなかった。
そんな中、少し神経質だったラムは精神的に弱った事もあったな。

だけど、ラムは病気ひとつしない子だった。
避妊手術を受けた時、偶然にも子宮に大きな腫瘍を発見!
一緒に切除するなんてラッキーも見せた。あの時避妊してなかったら、ガンになってたかも。

写真はずっとキティの頃ですが、携帯もデジカメもない時代。
成熟期のは残っていても大した写真がなかったので、たまらないキュートなラムちゃんをご覧下さいな!

親友と一緒に暮らしてた時、親友の愛猫シドとのステキな写真。シドももう18歳くらいになるね。
私の20代は全く落ち着かない10年だったので、それにつき合わされてラムも大変だったと思う。
30代になり、冒険欲もなくなって、ただただ仕事の生活になって行った。
ラムとの生活は後半10年が深く重いものになって行ったのだと思う。
夜は私の腕枕で必ず眠り、たまに窓から外を覗いたりする位で、
家猫のラムは楽しい人生だったのかな?とよく考える。
ある日私はハードワークの毎日で、とうとう倒れてしまい、緊急入院をする事になった。
倒れた当日、命からがらの状態で、一度家に帰りたいと懇願し、
ラムのご飯を山盛りにして病院に行った。私はいつ帰れるのだろうと・・・
一人暮らしはこういう時に大変で。
でも、親友が駆けつけてくれたり、母もラムの世話もかねて来てくれた。
母はラムに会うのが初めてで「可愛い猫だねぇ~」と褒めてくれた。

初めて一緒にカフェに行った写真
ラムが15歳になった頃、私も入院をきっかけにフリーの在宅仕事になり、
どっぷり家で時間を過ごす事が多くなった。
仕事中もラムは膝の上に乗りたがり、年齢のせいか?甘えん坊が増したななんて思い始めた頃だった。
元々犬も大好きな私。里子に犬を迎えられる条件が整い、迎えたいと思う気持ちと、
16歳の老猫に負担にならないかと本当に本当に迷った。
そしてジャイ子がやってきた。
ラムは最初、ジャイ子をまったく受け付けなかった。
嘔吐を繰り返し、家の隅に入り込んで出て来ない。
ジャイ子との生活は無理かと一時は諦め、ジャイ子を元の保護主に返す話になってしまった。
でも、ラムが私の気持ちを察してくれたのか、間もなくラムの方からジャイ子に近づいて来てくれたのだ。
その時は本当に本当に嬉しい瞬間だった。晴れてラムにもミルク以来の姉妹が出来た。

そして1年も過ぎたらこの通り。一緒に添い寝も出来るようになったおふたりさん。
実は腎不全だと診断され、療養食を食べながら過ごしてきたラムは、
1人のまったり生活にもかまけてたせいか、
夏は食欲が落ちげっそりしたり、ご飯の食べ方も気まぐれだった。
しかし、ジャイ子が来てからと言うもの、猫が変わった?かのような食欲旺盛さで、
17歳になっても、夜突然1人運動会を始める事もある程元気一杯に張り合いを見せてくれた。
ただこの頃は、私の意識は完全にジャイ子ばかりにいっていた。
ラムちゃん寂しい思いしたかな。本当にごめんね。

ここは犬のおふろ屋さん「あぱらぎ」周りに犬が一杯いるのに平気でカウンターで寝ちゃうラムちゃん
結構神経質だったのに、歳をとってからは何でも平気なおばーちゃん猫になっていった。
家猫なので、一切外には出たがらなかったけど、
通院の時にちょっとカフェに寄ったりして、外の世界も見せてあげようと連れ出していた。

外の世界は新鮮なようで、目をキラキラさせてたね。
あっという間に、ラムちゃんは今年2011年に20歳を迎える。
その矢先だった。
この1月色々諸事情があり、私は怒濤の中に引っ越しをする事になった。
引っ越し最中は友人にラムを預け、引っ越し後に引き取り、
モリモリ食べる食欲と、にゃーにゃーと鳴く鳴き声でうるさいな~と思う程だった。
もうおばあちゃんだからきっとボケてきちゃったようで。
引っ越し後1週間が過ぎた時、突然ご飯を一切口にしなくなった。
昨日まであんなに飯くれと鳴いてたのに・・・
明日は食べる、明日は食べると3日が経過した。
4日目の朝、普段飛び乗れるちょっとした高さでさえも、足がプルプルしてる。
食べてないから力がないようで。
すぐに病院に連れて行く事に。そのまま入院。
末期の腎不全で、脱水がひどく、改善出来るか分からない状況だった。
でも、突然食べなくなったなら、突然食べ出すかもしれないと先生の言葉。
年齢的な事、腎不全をずっと煩っていた事。それも考慮し、やれるだけの処置をする事になった。
2日入院をし、点滴を続けたが、飲まず食わずで見た目はひどくなるばかりだった。
そして昨日の朝お家に帰ってきた。
息も絶え絶えだが、必死で生きようとしてるのは伝わってくる。
私の膝に乗せると落ち着くラム。
夜も一緒に添い寝をし、たまにお水をお口に含ませてた。
朝になり、今日も皮下点滴をしにいく事になっていた。
でも何となく・・・点滴なんてもう必要ないんじゃないかって思ってた。
少しでも嫌な事をさせない方が良いんじゃないかって。
でも一応連れて行った。
車から降りると同時に既に脳に影響が出てるようで、激しい痙攣。
そして病院の診察台の上で点滴をしてる最中に呼吸が止まってしまった。
すごく頑張ってた。ラムちゃん本当に頑張ってた。
一つ良い事はあった。
猫は死に目を見せないと言われている。
友人や知り合いがガンの猫を看取ろうとして付き添った時、
友人はちょっと居眠りをしてしまったそうで、その瞬間に亡くなった。
知り合いは、夕飯の支度をと少し側を離れ戻ってきたら、お腹が動いてなかったと。
猫ってそういう生き物なんだな。
でも私は最後の最後まで看取る事が出来た。しかも私の腕の中で。
その時思わず出た言葉「ラムちゃんごめんね」だった。
ずっと、私と一緒では、ラムは幸せじゃなかっただろうなって思って来た。
ラムに1度も声をかけなかった日があったかもしれない位、ラムは空気のような存在になっていた。
でも夜ジャイ子が寝静まると、そっと寄って来て腕枕してと催促するラムおばあちゃんが愛おしくてしょうがなかった。
そう思い始めてから今日まであっという間だった。

享年19歳5ヵ月。私の人生の半分以上を一緒に生きてくれたラムちゃん。
人生の一番激動期を絶えて一緒に居てくれたラムちゃん。
この先20年なんて考えてもとても想像の付かない程に長い年月だ。
本当に本当に長い間ありがとう。
ブログはずっとrumjyaizと言いながら、ジャイ子の事ばかりだったから、
今日はラムの事だけをいっぱい書かせてもらいました。
密かにラムちゃんをいつも応援してくれてたみんなもありがとね!
泣き虫な私の涙はいつ枯れるのかしら?な状態ですが、
これからもラムちゃんに見守られながらジャイ子とレディースコンビ頑張ります!

昨日ラムちゃんが家に帰って来た直後、ジャイ子はラムの側を離れなかった。